●レコード業界の道義

 「道義的責任」という言葉がある。これは法律違反や契約違反ではないが、人の道、道徳的な責任を意味し、それを犯してはならないということだろうか。僕はこれから、東芝レコードを例に話を進めるが、これは東芝レコードに限った話ではない。全てのレコード会社が考え直さなければならない問題だと思われる。
 大村憲司というギタリストがいた。98年の獅子座流星群が夜空に輝いた晩に亡くなった。僕が最初にバンドを始めた時期のギタリストだった。78年に東芝レコードで彼のソロアルバム「First Step」を僕のプロデュースで作った。じつは発売直前に、このアルバムのドラマーでもある村上ポンタと彼が、薬物で警察に逮捕されたため、その当時は発売中止になってしまったものだ。その後そのLPが発売されたのかどうか僕は知らない。それが何と今年、2003年の8月にCDとして再発されていたのである。「されていた」と書いたのは、僕にはもちろん未亡人である夫人にも、再発の許諾の話も、再発の報告もなく、サンプル盤一枚東芝レコードから送られてこなかったからである。

東芝レコードの、このアルバムのURL
糸井重里氏のイトイ新聞の、このCDに関する記事

 現在レコード業界では再発ブームであるように見える。もちろん実際にはCDの売れ行きが低迷している現状の中で、再発はコストも少なく新人のアルバムよりリスクも少ないため、レコード会社の苦肉の策、というのが本当の話だろう。再発されたレコード(現在はCD)の売り上げからアーティストにどれくらいの金銭が還元されるか、皆さんはご存じだろうか。話を「First Step」に限れば、僕にも大村氏の遺族にも1円も入らないのである(各々の作曲者には著作権協会及び音楽出版社を通して著作印税は支払われる)。それには立派な法的な理由がある。アーティスト・ロイヤリティー(演奏権やプロデューサ権)の契約が無いからである。もちろんかつてのアイドルや有名歌手の再発には、事務所がしっかりと演奏権を取るべく動き、それなりの印税が支払われているだろう。
 僕はこのことに異議を唱えるつもりはない。つまり法的には僕たちには主張するべき権利がないからである。そこで冒頭に書いた「道義的責任」を問いたいのである。まず、いちど録音され、レコード会社が権利を得たものについては、メディアが変えても、発売地域を変えても、永遠にレコード会社の自由に、好き勝手にして良いものなのだろうか。アルバムとして作られた曲が、オムニバスなどで勝手に組み替えられたり、一曲だけ使用されてよいものだろうか(ちなみに今回の例では、勝手にボーナス・トラックが追加されている)。再発だからといって、新しいミックスもせず、新しい文字情報なども加えず、サイズはCDサイズに縮小させて料金が安くないのは何を根拠にしているのだろうか。少なくともアーティスト本人やプロデューサーには、サンプル盤を送って報告するくらいの道義があっても良いのではないだろうか。もちろん事前報告や許諾請求があるにこしたことはない。
 偶然のことだが、東芝レコードからビートルズの「LET IT BE」が再発される報道があった。それによれば、編曲をし直し、リミックスをやり直し、曲順や収録曲も変わっているらしい。つまりリメイクされての再発である。そのうえポール・マッカートニーやリンゴ・スターのコメントも紹介されている。つまりメンバーに無断でリメイクし報告しなかったのではなさそうだ。もちろん、ビートルズのアルバムと僕たちのアルバムは、その利益において等しくはない。が、だからといって僕たちの置かれている状況が正しいわけでもないと思う。
 僕自身のアルバムについてもお話ししよう。僕にもかなりの枚数のアルバムがあり、その多くが復刻されている。しかし、そのほとんどが大村氏の場合と同様、何の挨拶もなく再発される。僕がシンガー・ソングライターとして、73年に作り(当時ポリドール)98年頃にユニバーサルで再発されたアルバム「ある若者の肖像」などは、友人から発売されていることを知らされ、自分で新星堂に注文して買ったのである。例外はもちろんある。それがインディーズで再発される場合である。これらの小さなレコード会社はかならず僕に連絡を取り、サンプル盤を送ってくれる。そして「この素晴らしいアルバムを、いっしょうけんめいに売りますから」と言ってくれる。この違いはいったい何だろうか。
 大村氏のリードアルバムは全部で4作らしいが、実は彼がアルバム全てに渡って演奏しているインストゥルメンタルのアルバムがある。それは「六喩」という、アルファ・レコードで75年に発売になったもので、当時、僕は大村氏や村上ポンタ達と「21st.センチュリー・バンド」というバンド活動をしていた時のものである。しかし、このアルバムの再発は見込みがない。なぜなら事情が少し複雑だからだ。制作販売会社であるアルファ・レコードが倒産してしまったため、その全ての作品はソニー・レコードに譲渡された。つまり再発されるためにはソニー・レコードが動かなければならないのだ。しかしソニーはなかなか動かない。僕の「Jun Fukamachi & New York All Stars Live」というアルバムもアルファだが、既に二度再発されていて、二度ともインディーズである。つまりソニーは再発を拒んだわけである。現在僕の「On The Move」というアルバムもかつてのアルファであり、その再発を僕自身が直接ソニー・レコードに持ちかけているのだが、なかなかOKが出ない。インディーズ関係のレコード会社が再三に渡り交渉しているがダメである。ヤフー・オークションで3万円以上の高値で取引されているにも関わらずである。したがって「六喩」はさらに難しいだろう。
 メジャーという大企業の限界なのだろうか。つまり大企業にとって売り上げの少ないインストものの再発などに重要な関心を、いや、最低の関心すら持たないのだろう。何十万枚、何百万枚という売り上げ競争に目が向いている彼等にとって、大スターの再発物以外はどうでも良い存在なのだ。それなら出さなければよいのだ。ところがその発売権を多量に抱えている大企業は、おそらく少しずつ出さなければならない仕組みになっているのだろう。だから、そういう理由で出すことになった再発物に愛情を持つ者などどこにもいないのだ。愛情の欠如が道義的無責任を生むと思う。この愛情は、単にアーティストやアルバムに向けられるものの事ではない。大きな意味で「音楽」に対する愛情なのである。また音楽を愛している多くの消費者、音楽愛好家への愛情なのである。誠意と言っても良いだろう。こういう利益の追求だけでない謙虚な気持が道義を生むと考えられないだろうか。
 僕はこの現状を多くの人に知って欲しいと願っている。なぜなら、これが実際に起きている事実だからである。金銭や何かの権利を欲しいのではない。不平不満を言っているのでも、攻撃したいのでもない。ただ自分の作ったものに対して、正当な扱いを受けたいと願っているだけなのだ。あるアルバムのアーティストーーこの場合は「First Step」 の大村憲司氏であるーーに、せめて再発されたアルバムが届いても良いのではないだろうか。なぜなら、紛れもなくそれは彼のアルバムなのだから。つまり起こっていることは、「彼の」という意味が、アーティストへの敬意が喪失されていることだと僕には思えてならない。

後記
 なお9月12日に東芝レコードからサンプル盤が送られてきたことを書いておこう。もちろんこれは東芝レコードの善意でも好意でもなく、おそらく大村氏の関係者が東芝関係者に連絡したために、慌てて送ってきたものだ。サンプル盤が届いたことは事実ではあっても、僕が上に書いたことは些かも変わらない。