- このHPは深町純の個人的なHPです。僕のライブ活動や参加しているバンドの活動や、CD等の告知が目的です。また、僕の個人的な発言の場でもあります。音楽活動は僕の生活そのものです。しかし僕個人の特性として、社会の出来事に意見を持ち、それを表明したいという欲望を持っています。そういった原稿や趣味のエッセー、興味深かった本の紹介も掲載しています。また必要な方々のために僕のプロフィールもありますので、自由にご利用下さい。
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- 棋士の加藤一二三氏が提訴された。野良猫に餌をやったことが原因らしい。実は僕の住んでいるマンションでも同様のことが起こっているので、また、僕も現在二匹の猫と同居している身として無関心ではいられない。野良猫に餌をやることの是非については、僕自身は餌はやらない。しかしそれは考え方の違いであって、餌をやる人を批判したり制止したりはしない。それは個人の問題だと思うからだ。野生動物に対する救助や餌やりも問題になる。つまり人間が自然の営みに介入する事の是非である。しかし野良猫はもはや大自然の生き物ではない。家禽、家畜とは言わないが人間と共に生きている生き物である。だから彼らへの餌やりは大自然への不介入の原則とは別に論ずるべき問題だ。我がマンションでも管理組合が、餌やりを禁止する張り紙を掲示したり、こともあろうに殺虫剤のようなものを散布までしている。僕がこういった人々に言いたいことは、あなた方の主張は自分たちだけがよければ、他の地域の人のことはどうでも良いという、はなはだ我が儘な自己中心的な考えだということだ。排除された猫たちが、他の地域に行きさえすれば良いというのだから。なぜ、もっとうまく共存することを考えないのだろうか。有限な宇宙船地球号の同じ住人なのだという意識をもてないものだろうか。裁判の経緯に注目したい。
- ブルーノート批判。僕は昔からブルーノートが好きではない。だいたい外国人ミュージシャンだけ(例外はあるらしいが)を聴かせるとは、舶来嗜好の最たるもので、いわゆるブランド嗜好と何ら変わるところがない。それが海外のものだというだけで、それを「良い」と思うという、日本の悲しくも暗い過去の歴史を断ち切ろうという凛とした気持ちを、ブルーノートには全く感じられない。ブルーノートというネイミングも気に入らない。そういう名前のライブハウスがアメリカのどこかにあるのかもしれない。だからといって、その名前をまるであこがれの対象のように使うのは、そう、恥ずかししくはないのだろうか。ここは日本なのだ。アメリカよりも遙かに長い歴史と豊かな文化を持った國だというのに、なぜそこまでアメリカ文化に媚び諂うのだろう。君たちはチョコレートをもらいチューインガムを噛んでいればいいのだ。そうして、日本固有の、世界に誇るべき音楽を持たない希有な民族として、最低の音楽文化を恥ずかしげに持っていればいいのだ。そう、僕はブルーノートのオーナーに言ってやりたい。僕は君とは決して友達にはなれない。
- 小室哲哉氏が詐欺容疑で逮捕された。僕は昔から彼の音楽が好きでなく、「小室哲哉とつんく」は日本の音楽をダメにすると主張してきた。売れるということと、その楽曲が(音楽的に)良いこととは何の関係もないことは、音楽に造詣の深い人なら誰でも知っている。商業音楽家である小室氏が、その頂点から転落した現在の姿が「詐欺」ということでは、あまりにも悲しい。彼に悪意があったとは思えない。あるいは他者を瞞すにあたって知恵を絞ったとも思えない。その、あまりにも浅薄な行為は彼が愚か者以外の何者でもないことを示している。もちろんモーツアルトも周囲の友人から金を借りまくっていたというエピソードは有名である。しかし彼は世界各国に別荘も持たなかったし、ベンツもフェラリーも買わなかったこともまた事実である。仮に小室氏にとって、それは浪費ではなく、投資であり夢の実現であったとしても、借金に追われたあげくの詐欺行為は、同情の余地を見いだせない。彼に忠告する友人や先輩がいなかったのだろうか。結局現代の「裸の王様」であった小室氏の姿が、商業音楽に携わる多くの音楽屋に警鐘を鳴らすことになればよいと思う。
- 地球環境の劣化が大きな問題を引き起こしています。温暖化の原因が人間の営みの結果であることは明白です。工業を盛んにすればするほど、それは経済活動を高めることであるのですが、地球環境の劣化をも促進してしまうという負の連鎖。明かに人為的なこの現象に対し、僕たち自身が何もできないとしたら、そのもたらされる結果は人類にとって最悪なものです。少なくとも、そういう自覚を持って生きるべきではないでしょうか。
- 結婚しました。ええっ、と驚かれる方は多いでしょうね。4月14日にフローレンスのセント・ジェイムス教会で挙式しました。彼女の家族とごく近しい友人が参列してくれました。その後、二週間ほどフローレンスに滞在しました。1日だけベニスに行ってきました。フローレンスは都市というより街と言いたくなるような、古いものを頑なに守っている古都といった趣です。少なくとも僕は一度も舗装道路を見ませんでしたし(ほとんどが石畳の道路です)、企業の宣伝のポスターや看板の類を全く見ませんでした。もちろんコンビニもファミレスも、一店のマクドナルド以外のファーストフード店もありません。なにしろ市街電車や地下鉄もないのですから。ダンテ。ミケランジェロ。ダビンチ。ガリレオ。マキャベルリ。メジチ家の元にきら星のごとくの人物が輩出した場所です。ポンテ・ベッキオの傍らのレストランで夕陽を見ながら飲んだキャンティーワインの味は、素晴らしいものでした。
帰国してから5月の12日に、品川プリンスのステラボウルで結婚披露ライブパーティーをしました。下條アトム氏の司会で河口恭吾君、大島花子さん、亀淵友香さん、宮沢和史君等が歌ってくれました。乾杯の音頭をKONTAが、渡辺剛君、佐藤正治君、金亜軍君達が賛助演奏してくれました。300人以上の方が来てくださって、全く僕の日頃の趣旨とは違った、派手で賑やかなパーティーでした。
人生とは何があるのか、どう展開するのか全く予想がつきません。長いこと「結婚」するなんて予想だにしていませんでしたから。「幸せですね」と言われます。もちろん不幸せではありませんが、さりとて幸福の絶頂にいるという実感があるわけでもありません。実際の日常生活は結婚(式)前と後で、それほど変わってはいないからかもしれません。ただ、深町という姓の女性が突然出現したのには、大きな戸惑いがあります。
小野布美子音楽創作教室。この主催者が僕と結婚した女性です。このHPには彼女の仕事、および僕が子供達のために伴奏した曲がたくさん(今年の発表会では50曲も伴奏しました)あり、聴くこともできます。僕は基本的に彼女の仕事を素晴らしいものと考えています。次の世代を担う子供を育てる以上に立派な仕事を、僕は思いつくことができません。
- 昨日、著作権協会の方が僕の店「FJ's」に来ました。店で流している音楽と、月に10数本やっているライブの著作権使用料を払いなさい、ということなのです。僕は電話を頂いた時から「徹底的に戦いますから」と言っておいたので、いささか緊張して来られたようです。もちろん彼らも徴収の仕事で来たのですから、一応のその趣旨を聞き、僕は僕なりの意見を言いました。少なくとも僕は著作者の一人ですから、僕のために彼らが僕から徴収するという、まるでトートロジーのような奇妙で微妙な関係の元に話は終わりました。このことについては、後日、詳しく書くつもりです。
- ニュース番組は秋葉原の連続殺人事件の話題で持ちきりです。ミャンマーのサイクロン、そして四川省の地震。なにか世界規模でも不気味な話題が多い気がします。特に最近の事件や事故は、弱者が犠牲になるケースが多いのではないでしょうか。いえ、「弱者」という言葉は弱い人たちという意味なのですから、何かあればその人たちから被害を被るのは当然なのですが、現代社会はそういう格差を減らすように努め、人々は平等であることを標榜してきたからこそ、この事態が不都合に見えるのかもしれません。自然災害はともかく、秋葉原の事件は現代日本を象徴している感じがします。つまり犯人のような人物は決して特殊ではなく、どこにでもいる一般市民だと思えます。少なくとも犯行の前日までは。同じマンションの隣人の女性を殺し、死体を切り刻んで遺棄し、堂々とメディアのインタビューに答えた人物にも同様のことを感じます。僕はメディアのしていること、こういった事態を引き起こしている原因となっていることに、注目したいと思っています。
- 日本の文化レベル、特に音楽をとりまく環境の、程度の低さには悲しいものがあります。「環境」という意味は音楽を提供する側、受け取る側、そしてその作品や演奏家の質的なレベルであり、ライブハウスやコンサート会場の経営者達の意識であり、教育システムのことです。日本は明治になって西洋音楽を取り入れました。クラシックやジャズ、ロックといった欧米音楽を学びました。それは模倣することから始まりましたが、残念なことに今だその段階にあるように見えます。世界に通用する(通用とは世界の人々がそれを日本音楽と認め、享受できる)、日本人がそれを持つことに誇りを持てる音楽を創りださなければなりません。そのためには、音楽を提供する音楽家だけでなく、前述した全てのものが意識を持ち、向上しなければならないのです。僕は夢見ています。世界の人々がそれを聴くことを喜び、日本という国の文化を認め愛するような音楽が、きっと出来ることを。
- なお、このHPはd-roomの村山圭樹氏の協力によって作成されています。