目黒川の怪魚とガメラ
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この話は断じて他言無用。ぜひとも内密にお願いしたい。今年の正月2日のことだ。僕はぶらりと近くの目黒川に散歩に出た。朝の10時半ぐらいだったと思う。鑓ヶ崎の交差点から駒沢通りを下り目黒川に出て、素晴らしい晴天の下を川に沿って歩いていた。僕が現在の恵比寿界隈に引っ越してきたのは6年程前のこと。その当時の目黒川は、まだ川縁を歩くと少し腐敗臭がする、決してきれいとは言い難い川だった。それがここ数年非常に改善されてきて、一昨年には大きな亀を見つけ驚いたものだった。
ほんの5分も歩いただろうか。川面に沢山の鳥が浮いている場所があった。マガモ、茶色いのはマガモの雌なのかカルガモか分からないが10数羽。川の底石に着いている苔か水草のようなものを、首をつっこんで食べている。川の中央の飛び石のような岩に川鵜が一羽ずつ5羽ほど。向こうの岩には鷺が一羽。そして、そこ此処に泳いだり飛び回っているのはユリカモメだろうか、30羽ほど、いやもっとかもしれない。そして当然のことだが、多くの鳩や雀が両岸の手すりにとまっている。いたいた。少し離れた岩の上に亀が3匹、甲羅干ししている。
突然対岸が騒がしくなった。誰かがパンくずのようなものを空中に投げ上げると、多くのユリカモメがそれを空中で啄んでいる。鳩もおこぼれを貰おうと騒いでいる。なんとのどかな景色だろうと、暖かな日射しを浴びながら僕は穏やかな正月を満喫していた。ふと目を水面に落とした、その時だった。
僕は息を飲み、一瞬自分の目を疑った。魚が泳いでいる。それも小魚ではないのだ。2,30メートル下の川面だから正確なことは言えないが、6,70センチもある立派な魚だ。ちょうど荒巻鮭のサイズである。鯉だろうと最初は思ったが、よく見るとその魚影は細長く鯉ではない。しかも10数尾で群れているではないか。水深1メートルもないと思われる目黒川に、どうしてこんな大きな魚が泳いでいるのだろう。魚の名前は何だろう。捕まえられるだろうか。食べられるだろうか、やっぱりちょっと泥臭いだろうか、臭みはどうやって抜けばよいだろうかと、矢継ぎ早に疑問が頭を駆けめぐる。穏やかな時間は一変して、僕は興奮状態に陥った。周囲を見渡すと僕以外には誰もいない。まるで新発見をした探検家にでもなったような気分だった。
ともかく、これ以上ここでひとりで興奮していては怪しまれる。散歩している人にでも見つかれば魚が見つかってしまう。この発見を独り占めしたいという、はなはだ卑しい気持で心が一杯になり、いったん何喰わぬ顔でここを離れ、帰宅して魚の種類を調べることにした。帰路は魚のこと以外は何も考えられない。おそらく鱸ではないかと想像した。それならムニエルだなあ、いや刺身もいけるなあと思う。しかし釣り上げるのは、あの大きさでは簡単な話ではない。なにしろ新巻鮭を釣り上げるのだから。銛で突く方が良いかもしれない。今は寒いからウエットスーツも買わなきゃならん。そうなるといくら何でも昼間はまずい。水中ランプもいるなあ。それに川面に降りるには手すりを乗り越えなければならない。これは禁止行為だろう。ひょっとすると違法行為かもしれず、そうなると下手をすれば警察に逮捕されるかも知れない。「あの深町純、今度は夜中に魚を捕って警察に逮捕」では、さすがに格好悪いなあと、もう想像は果てしなく駆けめぐる。
家に戻って、さっそくインターネットで魚の名前を調べる。どうも鱸ではなく鯔かもしれない。ただ鯔が河川に現れるのは春過ぎのようだ。しかし今年の東京は異常な暖冬だ。それで鯔が川を上った可能性はあるだろうと、勝手に解釈し決めつけた。残念なことに食べられないらしい。食べるという意味でなら鱸であった方が良いのだが、いずれにしても、幾ら綺麗になったとはいえ目黒川の水では、きっと臭みがあって食べられないだろう。まあ鯔ならば雌を捕まえて、「目黒名物からすみ餅」を作るという手もある。昔、台湾の上等な「からすみ」を手に入れたことがあった。実は「からすみ」は茶事に付き物なのであるが、それを薄く切り軽く火であぶってからお餅でサンドイッチにする「からすみ餅」というものを考案し、発売しようかと思われるほど美味かったことを思い出した。
翌日、今度はもう少し早めに家を出て昨日のポイントに行ってみた。昨日の興奮を反省して、落ち着いた目で見てみる。ややっ、沢山泳いでいるではないか。ざっと数えると5,60尾はいる。ばちゃっと跳ねるやつさえいる。それにしても異常な光景だ。ほんの数分先には山手通りがあるのだ。どうしてこんな都会の当たり前の川に、鯔だか鱸だかの6,70センチ級の魚が群れ泳いでいるのだろう。携帯電話のカメラで写してみるが、やはり遠くて鮮明には写らない。しばらく眺めていると、なんと水鳥が水中を飛んで(泳いで)いるのも見られる。10メートルほどの距離を潜水している。きっと何かを食べているのかもしれない。いやあ、水族館にでもいるような気分である。
あれっ、岩が動いた、と僕は思った。な、なんと甲羅の長さが優に60センチはあろうという亀がいる。首を伸ばすとさらに20センチはあるだろうか。こんな巨大な亀を僕の生涯で見たことがない。ウミガメのようなサイズだ。スッポンではないかと目をこらす。あれがスッポンなら何人分のスッポン鍋ができるだろうと、相変わらず僕の思考は、獲物を食べることにしか働かない。しかし残念ながら甲羅にはなにやら模様が見える。スッポンではなさそうだ。1分ほど首を水面に出し呼吸したした後水中をふわふわ、ゆらりと歩くでも泳ぐでもなく見えなくなった。ありゃあガメラだなあ、と思わず独り言を口にする。
正月そうそう異常なもの共を見た僕は、とても嬉しくなった。なぜこんなことで興奮したり嬉しくなったりするのだろう。大自然に触れるなどという大それたことではない。目撃した生き物の大きさ、サイズが血を滾らせる感じがするのだ。ふと「たまちゃん」のことを思い出した。万が一テレビなどに取り上げられて見物人でも集まるようになってしまったら、この僕が体験したような非日常的な興奮感は得られないだろう。だから冒頭に書いたように、このことは是非とも秘密にしておいて頂きたい。目黒川の怪魚とガメラについてテレビ局か新聞社に電話したりすることの無いよう、くれぐれもお願いしたいものである。