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II- #01「 ベラ(という名の猫)の死に関して 」
II -深町純のエッセイ、好きな本、猫の事
〜深町 純 JUN FUKAMACHI age51(1997年12月)
1997年12月15日の早朝、6時10分。ベラが死んだ。僕の腕の静寂の中に、静かに彼の呼吸がふと停止した。即座には何の感慨も浮かばなかった。ただ、「ああ、死んでしまったのだな」と思っただけだった。ありがとうベラ。ゆっくりお休み。
 
 
ベラが初めて僕の家にきたのは、もう16年も前のことだ。もし猫を飼うのならシャム猫にしたいと、ディズニーの「百一匹ワンちゃん」という映画を観て以来、僕はずっと心に決めていた。手足や耳の先っぽが真っ黒で丸い顔。細長い胴。長くて黒いしっぽ。そしてなによりブルーの目。とにかくその見た目が僕の趣味にはぴったりだった。
 
いろいろな所のペットショップを見て回った。一度は気に入った子猫を見つけ、お金をポケットに入れて出かけたことすらあった。けれども、動物を金銭で買うということに、どうしてもある種の抵抗感をおさえられなかった僕は、一つの縁に賭けることにした。つまり、誰かが譲ってくれることを期待して、いろいろな友人達に声をかけたのだ。その期待はじきに、見事に的中した。ある獣医さんから、譲っても良いシャムの雄の子猫がいると連絡があった。まだほんの2,3ヶ月の、手のひらよりも小さなベラを見て、僕は本当に嬉しかったものだ。
 
深町純とベラ

僕はそれまで子猫など、ほとんど知らなかった。まだ涙が乾かないように潤んで、ぱっちり見開いたその丸い目は、まるで何かを訴えかけるように僕をみつめた。小さいがはっきりした声でみゅあーと鳴く。手のひらが大きく、まるで虎の子どもを彷彿とさせた。「この猫と、ずっと生活していけるだろうか」と自問する。
 
途中で放棄することは出来ない。その責任を自覚しなければならなかった。一晩預かって決めることにしたものの、結局何の迷いもなく譲り受けることになった。名前をベラ・バルトークのベラとすることにした。あの決然とした厳しい顔を、僕が好きだったからだ。毅然とした猫に育って欲しかった。
 
 
それから僕たちの共同生活が始まった。小さなベラを前に座らせ、噛んで含むように僕は言って聞かせた。「いいかい、ベラ。僕と君はこれから長い間、共同生活をするのだ。共同生活とはお互いわがままを言わず、譲り合い我慢して生きていくということだ。だから、時には僕も君に怒ることがあるかもしれない。ただ、きっと約束しよう。僕は決して君を理不尽に怒ったりはしないし、君のために僕は最善をつくそう」当時のことで今覚えていることといえば、けっこう食べるものの好みがうるさく、ピルチャートという魚の缶詰ばかり食べて育ったということ。夜、ベッドに入ってくるので、僕が寝返りをうってベラをつぶしてしまわないかと、それを気にした晩が数ヶ月続いたことだ。
 
僕は直ちに完璧な親ばかになった。ベラが賢かったのか、他の猫と同じだったのかを、僕は知らない。ただ僕はベラに困らされた記憶が全くない。外出から帰ってきても、驚くような悪さは全くしなかった。人なつっこく、甘ったれで、愛想がよく、全てにわたって淡白で、しつこくなかった。初めて会った人の、膝の上で平気で寝た。「ベラ」と呼びかければ、必ず「ぐるにゃー」と返事をした。CDをかけたり、僕がピアノを弾くと決まって一緒になって歌っていた。しだいに大声になり、声がひっくり返ってしまっても、それでも歌い続けていた。帰宅すれば、必ずといってよいほど、玄関まで迎えに出てきた。少しトイレの掃除を怠ると、勝手に自分から人間用トイレの便器に乗り、おしっこをするようになった。ある日突然、トイレからチョロチョロと水音がしたので、驚いてトイレを見ると、ベラが平然と用をたしていたのには、思わず笑ってしまった。また、変わっていることと言えば、あまり食べることには興味を示さず、また食べること自体も下手だった。それでも「あんこ」だけは大好きで、魚の刺身はまたいで通るのに、おはぎなどは必ず食べた。何人かの友人の、共通の見解をまとめれば「ベラは猫離れしている、まるで人間のような猫だ」という不思議なものだった。きっとその仕草や反応がまるで人間と同じように見えたのだろうし、いや彼自身は自分が猫だという自意識は無かったのだと思う。
 
 
97年の8月の末、何処でどうして傷ついたのか、右の前足を怪我した。僕がうっかりしていたのかも知れない。気づいた時には既に十円玉ほど皮膚がはがれ、匂うほど化膿していた。あわてて近くの獣医さんのところへ連れて行った。その怪我は、手当がもう少し遅れれば、前足を切り落とさなければならないほど、ひどいものだった。一ヶ月ほどで足の怪我が治った頃から、あまり食事をしなくなった。そこでもう一度獣医さんに診てもらうと、血液検査の結果、かなり悪い慢性腎不全だと言われた。
 
それからは、もはや悪くなる一方だった。12月に入るとやせ細り、見る影もなくなり、触ると骨ばかりの体になってしまっていた。何しろ何も食べないのだから。その頃から、入退院を繰り返し、入院すれば、点滴をするという状態が続いた。僕は初めて、四つ足の生き物が、歩けないという姿を目の当たりにした。それでも僕はベラは美しいと思った。それはまず何よりも必死に生きている、生きようとする姿だった。決して諦めないその姿勢は、たとえもはや歩くことができず、従ってトイレの世話まで僕がやらねばならなかった時でも、常に感じられた彼の姿勢だった。それを僕は美しいと思えた。死の当夜、それはとても不思議な出来事だったと言わねばならない。明け方の六時頃、普段決してそのようなことのない僕が、ふと目を覚ました。そして直ちに「ベラはどうしているだろう」と思い、寝室を出た。ベラはもはや床の上に身を横たえていた。そこで「ベラ、大丈夫か」と抱き上げると、今まで十五年の間、一度も噛んだことの無かったベラが、突然僕の手のひらを噛んだ。それは血が滲むほどに強いものだった。そしてその直後、静かに僕の両腕の中で息絶えるということ、それは僕にとっても、またベラにとっても、この上ない幸せだったのだと思っている。その意味では大往生だ。不思議なことに、僕は涙一つこぼれなかった。「彼岸にたびだったのだ」。ただそう思っただけだった。
 
多くの友人から、「それは寂しいでしょうね」と言われる。しかし僕は本当に寂しいとは思わなかったし、今もそう思っている。翌日、いつも来ているクリーニング屋さんが来て、祭壇に飾ったベラに手を合わせてくれた。そのとき彼が、「ベラちゃん、よく頑張ったね。ゆっくりお休み」と言うのを聞いていた時に、初めて涙がこぼれた。またペット霊園で荼毘に付してもらい、その遺骨を取りに行ったとき、その寺の関係者が「線香をあげて下さい」と言いながら、祭壇にベラの霊を飾ったときにも、思わず涙がこぼれた。しかしいずれも、それは悲しさからでは無かったような気がする。
 
 
ベラが死んだということ、それはベラという「存在」が無くなったということなのだろうか。生物としてのベラと、生命としてのベラを同じレベルで考えて良いのだろうか。それは存在論として重要な問題だと思われる。つまり神や精神は「存在」すると、どのような根拠に基づいて言えるのだろうか。あるいは音楽や絵画は、視覚や聴覚にとってどのような関係なのだろうか。もちろんそれは、目の前に存在するグラスが、後ろを向いたときにも確実に存在しているのか、存在とは視覚や触覚といった感覚にだけ依存するものなのかという、古来からの問題を僕に突きつけているように思えた。ここで、ベラに出会う以前の僕の心の状態と、ベラが死んでしまった現在の心の状態との比較を試みてみよう。過去(つまり以前)も現在も共に、ベラという物理的存在が無いという意味では、まったく同じはずである。ベラに出会う前にベラは存在しなかったし、ベラが死んでしまった現在、ベラは存在しない。従ってその「存在」という意味では、まったく同じはずである。しかし僕は今、ベラを抱いた重みを腕に感じることが出来る。ベラの、あのだみ声を思い出すことが出来る。ベラの顔を脳裏に思い浮かべることも出来る。それはベラが実際に存在したときと、何ら変わらないものである。つまりベラが実際に生きていて、なおかつ彼が別の部屋にいるときと、何ら違いの無いものである。そしてそれらは、ベラが存在する以前には、僕にはまったく存在しない事柄なのである。それは単に心に浮かんだという、幻覚や妄想、そして厳密には単なる想像とも区別されなければならない。なぜならこの(心の)存在は、その後の僕の人生に大きな影響があると思われるからである。
 
それは大きな意味で「経験」と言っても良いものだろう。しかし経験はその物質的存在との関係から生じるものと、内的な啓発的なものとに分けられる。内的という意味は、それが感覚諸器官からの情報に基づかない、心的な行為によって構築され体験されることに、その要因を置くからである。ベラの存在は、その物質的な意味ででの「存在」だけでは、十分に語ったとは思えない。「もの」としてのベラの存在を否定することは出来ない。しかし、その「もの」はすでに消滅した。しかし「存在」としてのベラは「実存」する。

 
東洋医学における針や指圧は、まさにその良い例かもしれない。指圧を考えてみるならば、その行為は何をその体に施していると言い得るだろう。そう、ある種の刺激である。刺激は持続しない。いや持続しないもの、その現象が継続的でなく、ある瞬間に衝動的に与えられ、それに生体が反応するということが刺激であり、同時にそれがある効果として生体に大きな影響を与えるという事実である。その物質的証拠は何処にも何も存在しない。指圧を受けたという痕跡は何も無いのである。
 
僕は頭の中に、あるメロディを思い浮かべることが出来る(いや、浮かぶと言うべきかもしれないが)。また、その一部分を変更したり、その音色を変えたり、リズムを加えたりもできる。その時、頭に浮かんだメロディは「存在」しているのだろうか。それは単に証明できないという意味での、科学的存在では無いというだけのことだ。では僕の歯痛(の存在)は証明できるだろうか。しかし歯痛については、そこに証明がなされなくても承認される。歯痛は実際には決して共有することが出来ないにも関わらず….。なぜなら人は、それがあるから歯医者に行くのに違いないし、結局歯痛は、歯医者にいくという行動から帰納的に、そして自身の歯痛の経験的事実から、正当化されているに過ぎない。歯痛は相変わらず物理的存在とは言えないのだから。したがって歯痛が存在するのならば、ベラも存在すると言わねばならない。
 
 
ハイデッガーは「想起、想像」とは異なるそれを、「再現前」と名付けた。また、僕たちは「事物との関係の中に生きている」ともハイデッガーは言う。ベラが死んだこと。それは事柄であり、ベラの亡骸は物であろう。それらと僕との関係とは、いったい何を意味するのだろう。そこに時間が介在しないだろうか。「死」というもの、それは突然の出来事ではない。それが心臓の停止であったり、脳波の停止であるなら、それは瞬間である。しかし生物の死はそれ以上の現象である。最も大いなる意味では、死はその生と共に始まっていたとも言えるだろう。あるいはベラの場合、8月から始まっていたとも言い得る。あるいはまた、僕の腕の中の、数分に凝縮していたのかもしれない。いずれにしても、継続された時間は、僕に確実に影響を与える。それは単なる出来事ではなく、経験として僕の人生に織り込まれる。このことはそれ以前と以後とが、異なった世界観をもたらすことを意味しないだろうか。
 
 
僕にとって、かつて愛は双方向のものとしてのみ存在した。つまり愛し愛されること、インタラクティブなものこそ愛であると思っていた。しかし今、僕は別の愛を感じている。それは享受する愛に対して、創造する愛とでも言うものだろうか。そのような実体は存在しないのかも知れない。しかし愛とはそもそも実体として存在するものではない。それは感じるとしか言いようのない、形而上学的なものなのだから。音楽を深く愛している人を想像することは、充分に可能である。では彼はその愛という名に於いて、いったい何をしているのだろうか。それは人が、生きているということと密接な関係にある。ただ食べ、息をし、眠ることが人生の全てでは無い。人はパンのみにて生きるにあらずである。「人間とは精神の生き物である」とキルケゴールは言った。人生という観点から見れば、それら物質的なことは、むしろ付随的なことだとさえ言えるだろう。感情に奔流され、激情のただ中にいる時にこそ、人はその生を実感するのである。そして、実感され体験された生は、単なる個としての生の問題なのであろうか。個人的経験はいったいどのような影響を周囲に与えているのだろうか。一個人に人類の全ての情報が蓄積されているという、ホリーリズム(全体主義)の主張は、僕にそれを軽視できないことを、ある種の重みを持って迫ってくる。カオスという(数学上)の混沌は、その初期状況の小さな変動が、結果しての全体に大きな影響を及ぼすこと示唆している。小さな一個人の受けた影響が、全宇宙に及ぼす影響など、誰も確定できないのだ。しかも世界は、部分の集合である。断片化されたその小さな部分がある集合となる。つまり全体と部分の関係は決して単純な決定論的な関係ではない。僕の受けた小さな経験を、僕自身がその全体に及ぼす影響を推察することは不可能だ。ベラの死が、いやその生が僕にもたらしたものは、決して小さくない。ただその死がその生を、より浮き彫りに、際だたせたということだろう。
 
 
ベラはいったい何のために生きているのだろうかと、よく思ったものだった。一生、野原を駆け回ることもなく、異性を求めることも子孫を残すことも出来ず、ただこの小さな僕の部屋で一生涯を過ごす。彼の存在が、何かの役に立つようなものは、何も見いだせなかった。そこにどのような意味が在るのだろうと思った。「愛されるために生きる」という言葉があるのなら、まさにベラはそのような存在だったのだと思う。ただひたすらに愛される。僕がベラを愛おしいものとして生きる。それが彼の生きることの全ての意味なのだと、そう思うこと以外に、僕は自分を納得させることは出来なかった。それはまるで物を愛することのようでもあった。愛用のグラスや草花を、愛する人の行動に似ているとも思った。しかしベラは物ではない。彼は明らかに愛されることを欲していたと思う。いや、愛されるために存在する、そういう存在の具体的な姿なのだと思った。そしてその要求は、いくら限り無くとも、決してその相手を傷つけることは無かった。彼が愛を望むこと、それは僕の望むことであったし、僕の喜びでもあった。僕が仕事をしようと、デスクに楽譜を広げると、決まってその楽譜の上に身を横たえた。本を読もうと本を広げれば、その上に腰をかけた。僕の注目するその視線の先に、いつもベラは入ってきていたのだ。そんな彼を僕はいつも愛おしいと思えた。
 
 
ベラはその死に際し、全くの苦しみも悲しみも見せなかった。ただ息が止まったのである。目も開いたままのその亡骸は、まるでそこに写し取った像のようだった。確かに(当然のことではあるが)生きていたときの、あのきらきらするような生命の躍動感は、もう失われていた。しかしだからといって、単なる猫の死骸では決してなかった。それは、限りなくベラに近い「もの」として、僕の腕の中にあったのだ。「どうせ僕だってもうすぐ君の側に行く。だから先に行って待っていておくれ」と、心の中で言ったような気がする。いや、全ての死が同様であるとは思わない。だが他の死がどのようであることに、いかなる意味があるというのだろう。全ての経験は個人的なものだ。その厳然とした死の事実を前に、僕は悲しくはなかった。悲しみの感情はもっと後からやってきた。それも他人を通して。人と共に悲しむ、感情とはそういうものかも知れないと思った。悲しみは悲しみを生み、自ら悲しみを癒す。そしてベラは永遠に、僕の中で生き続けている。
 

後記。
 現在98年の3月である。ベラが倒れた場所の傍らにスパティフィラムの鉢があった。
一昨年だろうか。僕が少し手入れを怠ったために、一時は全ての葉を切り落とさなければならないほど弱っていたものだが、なんとそれに初めて蕾が付いたのだ。僕は非常に喜ばしいことに思えた。それがまるでベラの象徴のように思えたからだ。その何枚かの葉には、ベラの噛みついた歯形も残っているのだから。その白く気高い蕾は、何も言わない。決して僕のために咲いているのでもないことも、ベラの命が花になったのだと思うほど、僕はロマンチストではない。けれども、この地上のあらゆるものは、何らかの関係をもって存在していること。そして同じ花を見つめるにしても、そこにベラの思いを重ねて見ることができるということは、全く異なる(花としての)存在に驚嘆できること、そして同時にそれらのことに感謝の気持ちを思わずにはいられない。そういう様々な思いの積み重ねが、僕の人生に、光と影という襞を形作っていくのだろうと感じた。

深町 純 JUN FUKAMACHI age51
(1997年12月)
 

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