KEEP Legend
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looking back
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深町純 1stアルバム「ある若者の肖像」(1971年11月1日)の発表から50周年です。 このアルバムは、深町純がシンガーソングライターとして発表したものです。(当時25歳) |
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東京藝術大学音楽部作曲科 同期・友人の國越 健司 様より公式サイトにいただいたメッセージ「深町君のこと」(2012年9月寄稿)に、アルバム発表当時のことが語られています。(「message for jun」)
(2021年12月5日) |
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「一人一人に役割がある」
音楽家 深町 純はよくこう言いました。 一人一人が存在の意味を知り、その魂を生きること。 それが使命だと彼は信じていました。 使命を見い出すことが意義であり、生かすことが智慧であり、その道を輝いて生きることこそが一人一人の役割なのだ、と。 それは魂が求めている感性と創造の姿なのです。 彼は、生涯、魂から湧き出る音楽を生み出し続け、その生き方を実践した音楽家です。 与えられた領域を生き切ることが、一人一人が本来持って生まれた輝きを発する原点なのだと、強く感じていた人でした。 彼は、純粋に「美しい音楽を生み出す」という自身の領域に身を捧げながら、 社会に、世界に、生命に、地球全体に目を向け、自身の役割を常に受け止めてきました。 この世に起こっていることは自身と無関係ではないという、地球号に乗り合わせた一員であることに自重と責任を持ちながら、自身が可能なことに前進し続けた人でした。 「平和とは一人一人の心の中からしか生まれない。 人が音楽を聴くとき、心の奥深くに在る静謐な場所に身を委ねる。何も考えない。人にはそういう時間があっていい。 音楽自体は『意味』を持たないのだ。」 すべてから解放され、日常を忘れ、音の中に没頭すること。 そういう心の状態が、平静や平穏な世界を創造し得る源だと、彼はあえて言葉にせずに信じ、音楽を通して提示し続けました。 「深町 純」という名の下に生き、その使命を一貫したのです。 今、彼はその生涯を終えました。 彼が音楽を生み出すその貴重な瞬間に立ち合うことは出来ませんが、 彼の魂が発する音楽とその精神を、次世代に受け継いでいくことこそは、私たちに託された役目だと確信するのです。 「深町 純」が遺したすべてに計り知れないエネルギーが満ち溢れ、輝きを失うことはありません。 今後も「深町 純」の人生の軌跡を伝える活動を続けていきたいと思います。 その願いと意志の第一歩として「FUKAMACHI ism」〜深町純プロジェクトオフィス 及び 深町純公式サイト〜 を設立しました。 彼の音楽、精神が、人々の心に響き続いていくことを、心から祈り、 それをこの世に伝え「生かす」こと、それが「深町 純」を知る者の使命であれば、これ以上の幸せはありません。 FUKAMACHI ISM メンバー |
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