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深町 純 Jun Fukamachi
作曲・編曲家。ピアノ・シンセサイザープレイヤー
Composer and arranger. Piano, synthesizer player.
深町純の音楽は、深遠にて限りなく美しい。
時空を超えて降り注ぐ「音」を紡ぎだし、生まれるメロディ。
その音色は、耳にする人々の心をとらえて離さない。
聴衆の心に呼応し生み出される彼自身の音楽の創造が、即興演奏のスタイルとなった。
ウィトゲンシュタインを敬愛する。
" 純 ", it means that the "pure".
「美しいものを創りたい」
それだけが僕のやりたいことなのです
〜音楽家への道〜
  • 1946年5月21日 東京 原宿生まれ。本名、深町 純。
    画家であり高等学校美術教師の父 辰夫、ピアノ教師の母 テル の長男。
  • 2歳にして、聴いた曲をピアノで再現。
    3歳から本格的にピアノを始める。
    早くから類希な才能を発揮し、神童と呼ばれ、数名の一流教師のもと音楽教育を受けた。
     
自宅でレッスン中
幼少の頃から、特別出演でピアノソナタを演奏
 
  • 東京芸術大学音楽部作曲家入学、在学中からプロとして音楽家の道を歩む。
  • ’69 日生劇場 ドフトエフスキー「白痴」音楽監督、
  • ’73劇団四季ミュージカル「ジーザスクライストスーパースター」日本初演音楽監督、
  • ’76 劇団四季「エクウス」音楽監督、
  • '78東映「火の鳥」音楽監督、交響組曲「火の鳥」作曲新日本フィルハーモニー共演、
  • ’79 映画「KEIKO」音楽担当、

    など作曲家、編曲家、ピアニスト、キーボードプレイヤーとしてミュージカルや映画、TV音楽制作に数多く携わる。
    井上陽水、沢田研二、五輪真弓、加藤登紀子、山口百恵など数多くのアーティストアルバムに参加。
     
〜日本人初のピアノ弾き語りシンガソングライター〜
クラシック、ロック、ニューミュージックなどジャンルの垣根を越えて柔軟な音楽性を持つ実力が評価され、幅広く日本の音楽シーンに活躍した。
 
  • '71 ポリドールレコードよりファーストアルバム「ある若者の肖像」をリリース。作詞作曲を始め、演奏に歌唱すべて自身による、日本人で初めてのピアノ弾き語りシンガーソングライターとしてポップス界にデビュー。
  • '72 第1回東京音楽祭「足跡で作る橋」入賞
  • '72 日本歌謡祭「小さな子供達への唄」入賞
  • '76 東芝EMIヒット賞受賞
  • '84「野のきよら山のきよらに光さす」にて音楽部門を担当しモンテカルロ国際テレビ賞 ゴールデンニンフ賞、国際批評家賞受賞。
     
〜フュージョンを日本で最初に手掛けたパイオニア、シンセサイザーの草分け的存在〜
 
アメリカから「夢の電子楽器」として初めて輸入された3台のシンセサイザーのうち一台が深町に託され、シンセサイザー奏者の第一人者となり、ロックキーボードプレイヤーとして活躍、'75 年にはジャンルの垣根を取り払うフュージョンの日本初のアルバムを発表。
 
独自の音楽観と確かな音楽センス、巧みなテクニック完璧なピアニズムに支えられ、日本における一流音楽家として日本の音楽シーンを担ってきた。インストゥルメンタルバンドを結成しオリジナルサウンドの追求を重ねた。
  • '75 大村憲司、村上ポンタ秀一、小原礼を率いる「21stセンチュリーバンド」を結成。
  • '80 和田アキラ(E.Guitor)、富倉安生(E.Bass)、山木秀夫(Drums)を率いるバンド「KEEP」を結成。

数々のアルバム発表、ライブ活動を行う。
新しいジャンルを確立し、日本音楽シーンに大きなセンセーショナル、衝撃を与え、高い評価を得た。
 

〜いち早く海外から認められた実力〜
 
New Yorkの実力派ミュ-ジシャンを率いライブ開催、アルバム制作を可能にした日本の実力派ミュージシャンとしてその不動の地位を確立。

スティーブガッド、アンソニージャクソン、デビッドサンボーン、ランディブレッカー、マイケルブレッカー、マイクマイニエリ、リチャードティー、ウィルリー、スティーブカーンなど、New Yorkの精鋭ミュージシャン達と交流を重ね、彼等を率いて数々のアルバム(「ON THE MOVE」「SPIRAL STEPS」「SEA OF DIRAC」等)を精力的に制作、発表、日本に招いてLIVEツアーを行う。

「JUN FUKAMACHI &New York All Stars LIVE」は過去何度も再発売され、年月を経た現在でも新鮮な衝撃のまま多くのファンに受け入れられている。
 

〜日本音楽文化へのアカデミックな貢献〜

  • ’84 東京大学教養学部にて、「音楽美学」の講座を担当、教鞭を執る。
  • ’89 洗足学園大学音楽部教授に就任、日本初のシンセサイザー科を設立。
  • 同大学音楽工学研究所長就任。音楽と科学の文化的融合を目指す研究機関を発足させた。
  • ’08,'09 早稲田大学オープン教育センターにて「感性への問いの現在」について講義を行った。
     
〜「日本の音楽」の創造を目指して〜
 

'96 洗足学園大学音楽部教授退職後、ピアノ即興演奏を主眼に演奏活動を再開。即興演奏によるスペシャルプロジェクト「日本の四季」をインディーズシーンに向けて発信するなど、日本が世界に誇れる「日本の音楽」の創造を目指して真摯な演奏活動を続けた。聴衆の心に呼応し生み出される彼自身の音楽の創造が、即興演奏のスタイルとなった。

「THE WILL」「僕らのしぜんの冒険」「THE DUO」などバンド活動にも作曲、演奏と精力的に参加し、同時に後任のミュージシャンの育成にも力を注いだ。

’06 良い文化かつ良質な音楽の発信を目的に、自身のプロデュースによるサロン形式のライブハウス、カフェ「FJ's」を設立。多くのミュージシャンに発表の場を与えたいという趣旨に沿って、チャージなしでの場の提供を行い、自身で音響調整などの細部にわたって誠実に携わり、数々のミュージシャン等をサポートした。
 

2001年より始めた月一度の定期的なソロライブも2006年より「FJ's」ライブハウスで続行。自身の愛用の[CP80]を最後まで使用し、美しく繰り広げられるしなやかで力強い即興演奏は多くのファンを魅了し続けた。

 

2010年11月 ソロライブ予定日の直前に他界、117回にて、終止符を打った。

2010年11月22日夕刻 昇天 享年64歳。

 

深町純の音楽家としての、そして人間としての魅力は多くのファンの心に生き続け、今もなお、沢山の人々に愛され続けている。日本が誇る音楽家であり、21世紀に生きた希少な「真の芸術家」であった。
 

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