素晴らしいピアノに出会うこと。それは美味い料理や面白い本に出会うのとは、ピアノ演奏をする僕にとっていささか趣が異なる。恋人に出会う。これが一番近いと言えるかも知れない。恋人に出会うとはどういうことだろう。もちろんそれは一義的には、人生に於いての楽しさをもたらすということである。しかし、それだけではない。その恋人によって人生の意味が変わってくる、そこから新しい人生が始まることでもある。新しい自分を発見する旅でもあり、自分の可能性が無限に広がっていくという錯覚(人はそれを夢とも言うが)を、その瞬間に抱かせてくれることでもある。
このピアノは1955年に製造された。製造番号は#347.385である。ドイツのボンにあるベートベンの生家、ベートベンハウスに置かれ、世界の著名な演奏家達によって弾き継がれてきたピアノである。スタインウエイ・ピアノが最も良い楽器を生産した時期もまたこの頃、1950年代半ばから60年代後半までだという。資料によれば、リヒテル、ケンプ、バックハウス、ホロビッツ、ポリーニ、ゼルキン親子と、このピアノを弾いた演奏家の名前はきら星のごとくである。ある一時代を築き、担ってきた巨匠達でもある。
その低音は驚くほどの力強い響きを持っている。高音はどこまでもまろやかで甘い。現代のスタインウエイが、ともすれば強靱な響きを持っているのに比べれば、このピアノのサウンドはくすんでいる。しかしその品格は素晴らしい。あくまでも破綻をきたさない格調の高さは、ヨーロッパの伝統を決して古くさいものにとどめてはいない。つまり古くて良いものを厳然と示していると僕には思える。決して刺激的ではないが、芳醇な香りを絶やさない。このピアノの素晴らしい音を聴き取って下されれば幸いである。
かつてシューベルトは、最も大切なことは密やかに、と言ったそうだ。つまりピアニッシモである。大きな音を派手に鳴らすピアノは沢山ある。が、最弱音をきれいに出せるピアノは、そう多くはない。小さくしたいと思ったとたん、ピアノの方から小さな音になる。ああ、こんなにこっそり囁くことができるのだ、と自惚れさせてくれる。名器とは演奏家にとって、どのような自分になることをも可能にしてくれる楽器のことなのである。
完璧や完全を目指す演奏はたくさんある。このCDでの僕はその反対にある。いい加減で適当である。殆どワンテイクで録られたこれらの演奏は、決して真剣でも技巧の極地でもない。だから、鼻歌だと言ってもよい。僕にとっての人生はそういうものなのだから。全ての人たちの人生が完璧であったら、その世界はなんと窮屈で居心地が悪いのではないだろうか。間違いや失敗を許容し、遊びや冗談が溢れているところ、それが僕の住む世界なのだから。あとは僕の演奏が(完全主義者だと聞く)中島みゆきさんに対し、失礼に当たらなければと願っている。
このピアノは、福島県いわき市のエリーゼ・ハウスにある。ホール設立に際し、オーナー・木村氏の友人であるドイツピアノ輸入総代理店ユーロピアノ社長・戸塚氏が、ベートベン・ハウス改築に伴うオークション直前に入手し、海を渡ってきたそうである。エリーゼ・ハウスは個人ホールとして際だっており、今回の録音を快諾してくださったオーナー、の木村氏、スタッフにお茶までご用意くださった夫人に感謝の意を表したい。
JUN FUKAMACHI age57
(2003年アルバム「深町純ピアノワールド 中島みゆき作品集」ライナーノーツより)