2010年11月22日朝、いつものように紅茶を飲みながら、その日深町は真剣に音楽について話しをしました。
僕は良い人生を歩んでいると思うよ、と言い、その日も新たな曲創りに意欲を見せ、勇むように10本の爪をバチバチと勢いよく切りました。
噛んで含むように「僕は 音楽家だ」と、そう一言 はっきりと言いました。
仕事に出かける私を優しい微笑みで見送りました。
聡明でやさしい人。誇り高き音楽家。
非常に穏やかな、深い表情をたたえたその目を、最後に見た 深町 純の目を、私は生涯忘れることはありません。
ピアノの部屋に向かった、それが最後の姿となりました。
彼は命尽きる直前まで、新曲制作に没頭したのです。
ピアノの下に真っ直ぐに倒れ、静謐の中に一生涯の幕を閉じました。
全く予期せぬ突然の旅立ちでした。
譜面台には、新曲「願い」が書き上げられ置かれていました。
(後日、彼のプロツールスに「願い」を歌った最後の歌声が録音されているのを発見しました。
ピアノ、シンセサイザーアレンジ、そして歌を収録し完成された音源でした。)
深町純と40年前共に音楽制作を行ったエンジニアの行方洋一氏に、マスタリングの為この音源をお渡しした時、「深町純は『音楽の匠』だった、彼は最後まで真のプロだった」と言われました。
彼の生き様や精神は、常に一貫して
真の音楽文化の創造、自身の中に流れる音の血潮を忠実に紡ぎ出す精神集中、
そしていつも真実と美を求め、人生の高みを見上げ続ける強い志に、
その眼差しと誇りは向けられていました。
生きる輝きを脈々と感じ、計り知れないエネルギーを燃やし尽くした人生、
それは「音楽」にすべてを懸けて自身の使命を全うする、壮絶な挑みでもありました。
天賦の才を持って生まれ、自己訓練と偉大な集中力によって完璧なピアニズムをたずさえ、音楽への深い愛と造詣は、自身の魂と肉体を通して生命の賛美へと昇華し続けたのです。
「音楽とは何か」それは彼に一生涯かけて課せられた問いであり、
そのこたえを両手のなかに探し続け、その真の心を見いだす精神は弛まず前進しました。
人生を全うし終えた時、彼は神と一対一に向き合い、きっと自身への問いに
こたえを出したでしょう。
彼だけが言い尽くせる、人生の意味を。
この世に、音楽を創り出し表現するものとして存在した宿命を全身全霊で受け止め、その使命に立ち向かった姿は、「良い音楽を創ること」
情熱は一心に、それだけに注がれました。
彼は、この時代がもたらした産業革命により「売れるための実用音楽」が氾濫し始めた時期、「このままでは音楽の本質が見失われる」との危惧を重大に受け止め、
商業的音楽の加担に厳然と断罪の意を示しました。
古代から音楽とは神聖なる領域に在るもの、その使い道を誤ってはいけないという本能的な信念から、自身の音楽は時代に併せることなく反旗を翻し、孤高の道を一途に進んだのです。
仕事場を彼は「聖域」とよんでいました。
そこには常に、自身に降り注ぐ何か重大な計り知れない難問題に立ち向かう姿、まったく独創的な方法で自身に挑む姿がありました。
好奇心一杯の澄んだ目は輝き、顔は生気に満ち溢れ、その気骨ある態度は真剣そのものでした。
溢れるばかりの精神集中の中で、最高の知性を力いっぱいに響かせ、全知能を振り絞り、
ただひたすらに真理を求め、すざまじい意志の力で全力で使命を生きる姿、これは、彼の純粋なそして冷酷なまでに厳しい誠実さの証でした。
音楽に向かう時、そこは決して誰も立ち入ることの出来ない、神との対話の領域だったのです。
そこにいる深町純は、まさに<神秘的なもの>の告知者でした。
彼が我々に遺したのは、全力で純粋音楽を創り出すという精神姿勢です。
言わば、一人の謙虚な音楽家が為した「真摯な生き様」の残像であり痕跡なのです。
今、この世に生きるものへ、彼が投げかけるものは何なのか。
それは、彼の人生が生み出した音楽の中にそれぞれが感じ取る「心」
そして「音楽とは何か」と問い続ける彼の実直な声なのかも知れません。
日本音楽文化の黎明にパイオニア精神を掲げて新境地を斬り拓き、音楽に最愛を込めた深町純の人生は、永遠性を以て彼の音楽の中に真の存在価値を証明し、
提示し続けるでしょう。
深町純は、自らのアフォリズムを以て、人生の最後に 自身の生き様の真実を
見事に言い果たしたのです。
「 僕は 音楽家だ 」と。
深町 布美子