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「深町純ニューアルバム「SPIRAL STEPS」に寄せて」
  宗像 和男
 (Kazuo Munakata) 音楽プロデューサー
  - 1976年「SPIRAL STEPS」宣伝資料より -
1976年『 JUN FUKAMACHI'S RECORDING IN NEW YORK
SPIRAL STEPS」宣伝資料より
 
※ 1976年のアルバム制作当時に、
当時キティーレコード海外担当だった 宗像 和男 氏により記述されたものです。

 

〜深町純ニューアルバム「SPIRAL STEPS」に寄せて〜

「Spiral Steps」制作スタッフ 宗像 和男
 

今年の当初、深町純サイドおよびキティ・レコードの制作スタッフとの話し合いから生まれてきたブレッカーブラザーズとのレコーディング・プロジェクトは、だいたい以下の様に設定された。
  • リズムセクションは日本においてレコーディングする。
     
  • Breckerを中心としたホーンセクションのかぶせを、米国内(N.YかL.A)で行う。
     
  • 米国録音の日取りは、日本でのリズム録りの終了予定、またBrecker Bros.のスケジュールを考慮の上、一応7月末から8月初旬の数日間とする。
     
この計画にもとづき、Breckerサイドとの接触を始めたのが、4月中旬。当時、米国滞在中の私が、丁度 最新アルバム”Back To Back"のプロモートの為、ロスの”Roxy"に出演中の彼等のマネージャーに、人を介して最初のコンタクトを計り、内諾を得る。

そして6月後半、再びニューヨークに渡った折、Brecker Bros.の長兄である Randy Breckerと直接、レコーディングの日取り、内容に関して打ち合わせをする。そこで場所をニューヨーク、時は8月2,3,4日と決定し、スタジオはBreckerサイドの希望により、Media Soundの1スタを押さえる。(Randyの話によれば、ホーンの録音にはニューヨークではここが最上だとのことである。

相前後して、深町の以前の作品(L.Pレコード等)をRandyに送り届けておいた。
 
1976年 SPIRAL STEPS
 セッティングは終わり、あとは7月半ばに始まった東京ポリドールスタジオでのリズム録りを待つばかりとなった。私はじめ数名のスタッフは、リズム・セクションの上がりを見届けずにニューヨークに飛び、メンバーと16トラック・テープの到着を待つ。
 それ以降、レコーディング終了までの足取りは以下の通り:
 

7月29日

深町、ドラムのポンタ村上、深町のマネージャーの前さん、安室ディレクターがリズムセクションを収めたテープをもって東京よりニューヨークに到着。ホテルは7番街と51丁目の角。57丁目にあるMedia Soundまで徒歩10分。いかがわしい夜の色気漂うブロードウェイや8番街は目と鼻の先である。

ホテルで他のスタッフと合流。そこで東京でのリズム録りの結果を聞いて内心オダヤカならず。ホーンをかぶせるはずの4曲のうち2曲、すなわち”In The Holiday Grouve"と”Spiral Steps"の上がりが満足できるものではなく、どうしてもニューヨークで録り直さねばならないという。

セッティングは終わって、後はBrecker達のプレーにおまかせとタカをくくっていた私には「寝耳に水」。ベース・プレイヤーのブッキング、必要楽器の手配、予定の3日間では終わりそうになくなってきたので、そのスタジオ押さえ等々、頭の中を駆け巡ったが、考えてみても始まらないので就寝。
 

7月30日

午前中、時差ボケをものともせずに朝よりミーティング。いろいろな可能性があるだろうからRandyと明日にでも会って方針を立てようということになる。しかし最大の心配事は、はたして今から深町の音楽に合うベース・プレイヤーをブッキングできるであろうかということであった。

Randyと連絡を取ったところ、翌日朝から夕方まで空いているのでホテルまで、来てくれるという。
 

7月31日

予定通り11時にRandyがホテルのロビーに現れる。相変わらずのハンチング、ヒゲ面、思慮深そうな眼差し。
ホテルの一室でまずは双方の紹介。

Randy : 「送ってもらったレコード聴きました。コンセプトはボクと違うけど、レコードは気に入ったし、ミスター・フカマチの音楽には非常に興味がある。これはボクにとっても一つのチャレンジが出来るチャンスで、大変嬉しい。
ところで残念なことですが、弟のマイケルが急病で入院してしまい、演奏が出来ない状態です。多分、8/4日には大丈夫だと思います。彼の代わりに若手で
Lou Mariniという、マイケルに劣らず秀れたのがいます。最初の2日間は彼と演らせて下さい。」

我々スタッフ:「今日はわざわざ出向いて下さって有り難う。マイケルのことはあなたが太鼓判を押す人が代役をやってくれるのなら、否も応もありません。さて私達もこのレコーディングであなた達と仕事ができる機会をもてて幸せです。ところで当方にも大変困ったことがありまして…」

日本で録ったリズム・セクションのカセットテープを聴きながら話し合う。とにかく最善の方法を見つけようとRandyが各方面に電話をしてくれ、彼ならフカマチの音楽でも絶対に間違いないというベース・プレイヤーをつかまえてくれる。それがチック・コリアのところのAnthony Jackson、最近しばしばレコードのクレジットに見る名前である。問題の一つは解決。Randy達も、8/5日以後はスケジュールがつまっているということで、予定の3日間で録り終えられるかという問題はスタジオに入ってからの出たとこ勝負とし、一応次の様に予定を立てる。

8月2日にはAnthonyを入れ、深町ポンタそしてホーン・セクションもシンクロで問題の3曲を上げる。時間は毎日4-7PM、8-11PMの1日2セッション。

Randyと別れた後、メンバー共々楽器レンタルやに出向いて、リズム録りのためのキーボード類、ドラムセットをチェックして本番に備える。
 

8月1日

キリスト教の安息日。スタッフは写譜屋探し。ポンタはスティック探し。深町は、譜面書き。
 

 収録風景 
ライナーノーツより)
8月2日

12時前に上がったベースとホーン・パートの深町の譜面を写譜屋に渡し、あとはレコーディング開始の4時を待つ。昔の教会の内部を改造したMedia Soundの1スタにて4時前より楽器のセッティング、サウンド・チェックを始める。

4時にはRandy、トロンボーンのBarry Rogers、サックスのLou Mariniが到着。前のスタジオの仕事が押していたAnthonyも、4時半頃息せき切って到着。一曲目はかるいものをということで「In The Holiday Groove」をホーンとのシンクロで、いよいよレコーディング開始である。

ミキサーはバリーマニロウのチーフ・ミキサーであるMichael Deulugg。手際の良さ、環境の雰囲気づくり、音楽感覚にただ感心。アシスタント・ミキサーはなんと18才の少女。女性に対する「偏見」が頭をよぎる。しかしMichealの指示に従ってマイクを直し、テープマシンを操作し、スタジオとモニタールームを行き来する彼女の様を見て「偏見」は吹き飛んでしまう。ウーマンリヴの百万語の演説やデモよりも説得力がある。こんなことも何の衙いもなしに、はったりもなしに平気で行われてしまうアメリカはおかしな国である。

全員がリラックスするにつれて、良いテイクが取れる。引き続いて「Spiral Steps」もシンクロでということで始めたが、深町、ポンタ、Anthony3人となる。Randy達は最後までモニタールームでスタジオの演奏に聞き入っている。深町の書いた「Spiral Steps」の譜面を見て異常なファイトをむき出しにしたAnthonyのプレイは鬼気が迫る。最後にはコーラの空罎を弦にこすりつけて演っていた。3人の演奏はレコーディングということが意識の外に去って、ただ音楽の世界に没入しているように見受けられる。

ホットなセッション、ホットなテイク。Anthonyは終わった後、童顔に演奏中の興奮を残したまま曰く、「とてもHAPPYだった。この譜面をチックコリアに見せて、今日のセッションの話をしてやるんだ。実を言うと、前の仕事でスタジオに居た時、顔なじみの写譜屋が来て、『さっき日本人がベースとホーンの大変なスコアーのコピーを頼んでいったんだ』と言っていたけど、まさかこのボクがその曲を演るとは夢にも思わなかった。こんなexcitingなセッションを演れて楽しかった。」

深夜のスタジオを出て、ホテルまで徒歩で帰る。
 

収録風景 
ライナーノーツより)
画像をクリックすると拡大します(約2,400×1,180・2.2 MB)
8月3日

Spiral Steps」から始め、「Scoto Phonobine Type1」のホーンのダビング、アドリブのかぶせ。勿論すんなりいった訳ではない。このレコーディングを通して弱音をはかなかった彼もさすがに肉体の疲れといおうか、唇のシビレには参ったらしく、長めのブレイクを数度とり、リフレッシュしてから、やり直す。こっちがOKを出しても、モニタールームで聞くプレイバックに満足しないメンバーは、各々自分のそのパートの僅かな手直しを主張し、スタジオに戻って実行する。「ミュージシャンは肉体的にも、精神的にもタフでなければならない。」と実感する。
やたら煙草の減りが速い。

Breckerが日本人と凄いセッションを演っている」と聞き及んだらしく外野が増える。全部録りきれなかったが、最終日にまわすことにする。
 

8月4日

今日のミキサーはAlec Head。昨年キティが小椋桂の「めまい」のヴォーカルレコーディングをMedia Soundでやったときのミキサーである。双方、再会を懐かしむ。

そしてMicheal Breckerが参加。昨日まで病院のベッドに伏せっていたとは思われない力強いプレイをしてくれる。これがもとで、また寝込まれたらどうしようと、余計な心配をしたりする。Scoto Phonobine Type1,Type3」のダビングそして各曲のソロ・パートの仕上げ。セッションの合間の夕食には、深町、Randy達とそろって日本料理屋で息を抜く。12時を過ぎてやっと最後のマイケルのソロ・パートを録り終え、レコーディング終了。

よくもまあ、こんな限られた時間、限られた条件の中で乗りの良いレコーディングをやり終えることが出来たとスタッフ一同ホッと胸をなでおろす。ミュージシャン、そしてミキサー始め、それを支えてくれた人たちのpassionとtensionの高さと、その持続の賜物である。

テープ編集の後、全曲通して試聴。Barryは持ち込んだカセットに録音している。聞き終わって全員日本酒で乾杯。皆、最後まで残っていた。感謝の言葉の飛び交う中、再会を約しスタジオを出る。路上に吹き出す蒸気を横目に見やりながらホテルへ向かう。時計は3時をまわっていた。
 

これが極東の島国からニューヨークくんだりまで出かけたレコーディングの、それもこのアルバム「Spiral Steps (螺旋階段)」のタイトル通り、目の廻るような日々の一部始終でありました。その時の熱気がアルバムの中に文句なしに伝わっていると思います。

「こんな頑張ったブレッカーは聴いたことがない」と、ある人が試聴テープを聴いた後いみじくも言っていました。何はともあれ、類いまれな深町 純の音楽性と、ブレッカー達との異質な文化を背景としながらも、音楽という共通の土俵の上での共演というか、壮絶な取っ組み合いを楽しんで頂けたら、制作スタッフの一員として嬉しく思います。

宗像 和男

(敬称略)
 
宗像 和男 (むなかた かずお)氏は、元キティーレコード海外担当として、1970年代の深町 純リーダー作Spiral Steps(1976)」「The Sea Of Dirac(1977)などの制作に関わった。
 

(外部リンク)宗像 和男 様のインタビュー記事「目利きや!(メディアプルポ)」
 

村上 " ポンタ " 秀一 氏からのメッセージ「ありがとう 深町」(message for jun)
深町純自身によるこのアルバムのライナーノーツ(1976年)「artist cafe」
このアルバム制作に当時関わった、音楽プロデューサー 宗像 和男 氏が参加したトークイベント(2016年5月14日)の模様はこちら
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